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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和56年(ネ)110号 判決 1984年7月20日

第一審原告

廬金獅

右訴訟代理人

宮原和利

保澤末良

窪田雅信

第一審被告

花田スミ

右訴訟代理人

正込政夫

主文

一  第一審原告の控訴に基づき原判決を次のとおり変更する。

(一)  原判決添付別紙目録(1)、(2)記載の土地及び建物につき、第一審原告が所有権を有することを確認する。

(二)  第一審被告は第一審原告に対し右土地及び建物につき、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二  第一審被告の控訴を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。

事実《省略》

理由

第一当事者間に争いのない事実<省略>

第二事実の認定<省略>

第三本件土地所有権の検討

一本件土地の買受人について

昭和二八年一月乾滋からの本件土地の売買につき、第一審原告は同原告が買受けその所有権を取得したものであると主張し、第一審被告はこれを否認し静子又はスエ、若しくは第一審被告が買主である旨主張して争うので判断するに、前認定第二の各事実、とくに(一)ないし(七)の各事実を考え併せると、本件土地は第一審原告が自己の資金で内妻静子の母ハルキクとその孫操をその場に家を建てて居住させ、かつ老後は第一審原告夫妻らが住む目的で静子を代理人としてその妹スエ名義でこれを買受けたものであるが、その際、静子は同原告の名を示さず、かつ妹のスエ名義で売買契約をしたことが推認でき、この認定に反する前掲第二末尾記載の措信しない証拠の各一部のほか他に右認定を覆すに足る証拠がない。

右認定の事実によれば、静子は第一審原告を代理する意思で不動産仲介業者奥村登を通じ乾滋の代理人である不動産業者井関文平との間で第一審原告の名を示さないまま妹のスエ名義で本件土地を買受ける契約をしたものであつて、相手方である乾滋及びその代理人井関文平は第一審原告が買主であることを知らなかつたものというべきであるから、民法一〇〇条に照らし乾滋との間では本件土地の買主は静子であると看做されるが、この場合代理人静子と本人である第一審原告との間では間接代理と類似の関係が生じ、両者間では本人である第一審原告が直接本件土地の所有権を取得するものと考える(商法五五二条二項参照)。そして、前認定のとおりこの間の事情を知り第一審原告ないしその代理人静子から右土地の管理を委されていたスエないし第一審被告との間においても、本件土地の所有者は第一審原告であるといわねばならない(なお、最判昭四三・七・一一民集二二巻七号一四六二頁参照)。

なお、前認定第二の(七)のとおり、花田スエは、本件土地の従前地である鹿児島市武町二〇七番一、同所二〇七番四、同所二一一番の各土地の共有持権者である前門正夫との間に、昭和三五年八月一五日右三筆の土地につき共有物分割を行ない、同年八月一八日付で同所二〇七番五、宅地七五坪二合二勺(同所二〇七番一の土地から分筆されたもの)につき単独の所有権移転登記を経由しているが、右三筆の土地の共有物分割に当たつてはその共有登記名義人であり、前示のとおり第一審原告所有地の管理人であつた花田スエが当事者として形式的にこれに参加したものと推認するのが相当であり、右共有物分割の事実をもつて第一審原告が本件土地の所有権を取得したとする前記認定を妨げるものということはできない。

二本件土地の時効取得について<省略>

第四本件建物(旅館)所有権の検討

一第一審原告は本件建物(旅館)は自己が建築した旧建物を自己の資金で増改築したものであつて、その所有権は同原告に帰属する旨主張し、第一審被告はこれを否認し、本件建物は自らが業者に建築工事を依頼し、信用組合から三五〇万円を借り受けて建築したもので同被告が所有権を有する旨主張して争うので検討する。

前認定第二の各事実、とくに(八)ないし(一五)の事実を考え併せると、本件旧建物、これに増築した食堂はいずれも第一審原告がその資金でスエ名義による建築確認をとり建築したものであり、これを大部分解体してその残存の一部である前面八〜一〇坪を取り入れる形で本件建物(旅館)が建築されたが、これは第一審原告が第一審被告の懇請を受け、信用組合への分割返済金の支払と本件土地、建物の固定資産税を旅館の収益の中から同被告が支払い、その余の収益金は同被告が取得して旅館営業を行ない同原告のため本件土地、建物を管理するとの約束の下に第一審原告が静子を通じて一五〇万円を第一審被告に交付し、同被告が同原告の指示に従い同原告を代理する意思でその名を示さないまま自己の名義で信用組合に右金員を定金預金にしたうえ、三〇〇万円の融資を受け、自己の名義で建築業者と本件建物の請負契約を締結して、本件建物(旅館)を建築し、請負人からその引渡を受けて自己の名義で所有権保存登記を了したことが認められ、<反証排斥略>、他に右認定を覆すに足る証拠がない。

なお、第一審被告は原、当審において、第一審原告を姉静子の死亡した昭和五二年一月以前には全く面識がないとし、本件建物(旅館)をはじめ、本件旧建物、食堂部分も同被告がその資金で独自に建築したものである旨供述するが(前示同被告本人尋問の各結果)、前認定第二の(二)のとおり既に昭和二二年頃第一審被告は姉静子の内夫であつた第一審原告と会い、佐用スミと名乗つていたこと、同(一〇)のとおり昭和三五、六年頃第一審原告と交渉していること、同(一一)のとおり昭和三八年頃には神戸に第一審原告夫妻を訪ね簡易旅館建築の希望を述べていること、そして何よりも同(一六)、(一八)のとおり昭和四〇、四四、四五、四七年には自ら第一審原告あてに年賀状や暑中見舞を出していることなどに照らし到底措信できないし、第一審被告は建築資金の入手源などについても椎茸販売業の収益金とか、食堂経営の収入といつたり、不動産業の利益であるとその都度供述を転々と変えており、前認定第二の各事実により浮び上がる母ハルキクを初めとする第一審被告を含む花田一家の終戦後から本件土地買入、本件建物建築に至る時期の暮し向き、とくに同(二)、(一〇)の第一審被告の生活水準、及び同(一〇)により第一審被告が食堂経営を委されてから同(一五)の旅館建築までの間には四年程度しか経過せず、その間に大きな収益を得たとの的確な証拠がないことなどに照らし到底措信できない。

二右認定の事実に従い考えるに、民法一〇〇条の趣旨に照らすと請負人との関係では一応第一審被告が本件建物(旅館)の所有権を取得するものといえるが、本人の名を示さない代理として本人である第一審原告と代理人である同被告との関係では、前示第三の一で説示したとおり間接代理の場合に準じ本人である第一審原告にその所有権が帰属するものと考える。

この場合請負人が本人である真の建築主の名を知らなかつたからといつて、間接代理の法理に準じ代理人、本人間において建物所有権を本人に帰属すると認めることを妨げるものではない。

第五結論<省略>

(吉川義春 甲斐誠 玉田勝也)

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